読書会レポート 2018年5月

~シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」~

 今回の課題本は、名にし負う大文豪シェイクスピアの政治劇「ジュリアス・シーザー」でした。

 業績、名声、人望、知性、すべてに厚く、ローマの新時代をまさに切り開かんとしていたジュリアス・シーザー。しかしその周囲には、神にもたとえられつつあったシーザーに嫉妬し、その座から引きずり落とそうと画策する力がうごめいていた。彼らが反シーザーの旗印にと目をつけたのは、清廉実直で名高い男(ブルータス)。

高潔な理想、純真な愛国心、そして暗い嫉妬と羨望はないまぜになりながら、シーザーの暗殺は遂げられ、計画は成功。これですべてはうまくいく、と思われたのだが―――。

 さて、実際の会での話題は以下のようなものでした。

まず、
 ―「読んだけど、正直なんだかよく分からなかった」「そもそも『シーザー』って誰なのか、実は全然知らない」といった、赤裸々な告白(多数派)。
 ―「シェクスピアは初めて読んだけど、セリフが大げさする」「どうせ『ブルータス』では売れないから、有名人の名前をタイトルにしたに決まっている」という鋭い意見(過激派!)。

はたまた、登場人物の多くが男性であることから、
―「遊びも知っていて、言葉も巧い男が、モテるに決まってる」「そんなことない。心の弱さがある男性も、いじらしさがあって、人間臭くて好き」「カッコよくて、リーダーシップがあって、『さすが主人公!』と思ったキャラが、この後で美女にのぼせてダメになるなんて…見損なった」といった、男性キャラの好感度投票(主に女子陣)。

もちろん、
―「シェイクスピアはかなり史実を改変している。けれども、その改変が物語に自然さと普遍性を与えている」「容貌の描写がなくとも、読み進めているうちに、自然にキャラの顔かたちが想像できてしまう。さすがの筆致。」「史実では、複数の登場人物間に血縁関係があったらしい。そうだとすると、さらに面白く、考えさせられる」といった、「やっぱりシェイクスピアすごい」という声も多く聞かれました。

 最後に、打ち上げの酒宴では「シーザーサラダの『シーザー』の由来は何か」という点についても、ケンケンゴウゴウだったことも申し添えておきます。
(by H.T)
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読書会レポート 2018年4月

~川端康成『みずうみ』~

銀平( 34 )の目を奪う少女達は若く、戦後期には似つかわしくない清純無垢な存在です。その純粋さ、美への憧憬にうながされ、銀平は職を追われようが、少女が彼氏と一緒であろうが、無意識に少女の後をつけてしまいます。そのついてゆくさまは、少女に没入し自己を喪失しており、一人の人間とは数えられないほどです。


初読の印象はさまざまでした。ストーカーや変態小説といったラベリング、銀平の奇怪で一方的な言動に対する嫌悪感、盛り上がりに欠ける展開、唐突な終幕への指摘や、現実と記憶を行きかう独特な場面転換などなど。
銀平は少女のもつ魔力が自分に追う行為を強いており、少女もその魔力を自覚しその愉悦に浸っていると考えています。この観点には、犯罪を為す人特有の考え方であると顰蹙が上がりました(笑)その一方、追われるスリルを味わいたいといったマゾヒズムをもつ女性は、追われたいと感じているのではないかという意見も出ました。
銀平の一方的なコミュニケーションに辟易しつつも、「お楽しみですな。」の場面にあらわれる素直さ、コミカルな面には好感が持たれ、男性読者からはいいやつそう、友だちになりたいという声が上がりました。

また、元教え子の久子( 16 )、初恋のやよい( 14 、 5 )との関係性には、純愛と呼べる情緒的な交流があるのではないかという議論になりました。学校を追われた後、久子と逢引する場面では、久子は「先生、また私の後をつけて来て下さい。」と自ら言います。“後をつける”といういち方向的な行動を久子は受け入れ、銀平は望まれるまでになりました。
銀平は対人関係が上手なほうではないし、臆病で非道な行動もしてしまいます。けれども、少女のもつ美をひたむきに愛する気持ち、その美と共に生きてゆきたいという子どもの頃からの願いを持ち続け、諦めることなく人と関わろうとします。
「幼い銀平の幸福はやよいと二人づれの姿をみずうみにうつして、岸の 路 ( みち ) を歩くことだった。みずうみを見ながら歩いていると、水にうつる二人の姿は永遠に 離れ ないでどこまでも行くように思われた。」

 銀平の備える純粋さを好みつつも、極端な対人関係をもつこの人物について多様な価値観をお持ちのみなさんと考えを交わすことができ、また新たな『みずうみ』像を得ることができました。

(by K.O.)

読書会レポート 2018年3月

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 ~メリメ『カルメン』~

 ビゼー作曲の有名なオペラ『カルメン』の原作の小説です。

 考古学者の著者がカルメンの恋人だったドン・ホセの語りを聴き取ったという形式です。奔放な女カルメンに惑わされたホセが最後にカルメンを殺して破滅していく物語です。

会では次のようなことが話し合われました。

・ホセはバスク語をしゃべるバスク人という設定になっているけど、これはなぜだろう?
 ――それは、ヨーロッパ人にとっては、バスク語は最も難しい言葉だと言われているからですよ。言語の系統がまったく違うんです。だから、ホセはスペイン社会でも疎外されたアウトサイダーだということを言いたかったのだと思う。ロマ(ジプシー)であるカルメンももちろんそうだよね。

・カルメンは本当にホセを愛していたのだろうか?
 ――わからないね。カルメンはホセに自分の恋人と呼ぶことを禁じていたと書いてあるから、表面的なものだったのかも。

・カルメンの魅力がわからない。こんな男から男へ渡り歩く女がいいの?
 ――谷崎潤一郎の『痴人の愛』を思い出しました。こういうふうに女に翻弄されて喜ぶ男もいるのでは? 予測不能なところがいいんですよ。
 ――ホセが女性慣れしていなかったのだけかも。

・ホセは悪い人ではない。純情すぎるからこそカルメンに惑わされて悪の道に走ったのだろう。

・最後にホセはカルメンはかわいそうだ、あんな女に育てたカレ(ロマ)が悪いと言ってるね。翻弄されながらも、最後までカルメンを憎むことはできなかったのだろう。


 私としては、短い言葉で強烈なイメージを喚起する、すごい作品だと思いました。
 中でも、カルメンが皿をたたき割って、その破片をカスタネットのように打ち鳴らして踊るシーンが鮮烈でした。

(Das Wandern)

読書会レポート 2018年2月

~チャペック『ロボット』~

「ロボット」という言葉はこの作品から生まれました。チェコ語のrobota(使役)が語源だとされています。チェコの作家カレル・チャペックが1920年に発表した戯曲です。
 労働するために人間に作られたロボットたちが蜂起し、人類を抹殺しはじめるという内容です。

会では、こんな言葉がかわされました。

「欧米のロボットものの作品は、最後にはロボットが人類に反抗し始めるのが多いですね。日本のドラえもんや鉄腕アトムは、人間の役に立とうとするのに」
「人間に似たものを人間が作るのは罪深いという考え方があるのでは」

「虐げられているロボットを救うためにロボット工場に乗り込んで来た女性ヘレナが、いきなり社長のドミンに求婚されて、しかもそれを受け入れてしまいますよね。これはなんでなんだろう」
「そう、そこが理解できなかった。この工場があるのは孤島ですよね。ヘレナはストックホルム症候群にでも陥ったのだろうか」

「第二幕で主要な登場人物がすべて死んで、そのまま第三幕に突入しますよね。これはすごく斬新な構成だと思いました」
「初めは、この作品は二幕までしかなく、三幕目は後から付け加えられたそうですよ。二幕目で人類がほとんど絶滅してしまうので、さすがに救いがなさすぎると思ったのだろうか」

「ヘレナはロボットに同情して助け出しに来るんですよね。この感覚がよくわからない」
「ルンバに名前を付けてかわいがっている人もいますからね。ロボットに共感したり同情したりするのは、ありうることだと思いますよ」

この作品が発表されたのは1920年。そんな時代に舞台の上に「ロボット」を載せ、その危険性を言い当てたのは、恐ろしい慧眼だなと思いました。

(Das Wandern)

読書会レポート 2018年1月

~ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』~

●映画『ブレードランナー』の原作本

本書は、1982年にアメリカで公開された映画『ブレードランナー』の原作本。昨年10月には、映画の続編『ブレードランナー2049』が公開され、話題となっています。

●あらすじ

舞台は、「最終世界大戦」後の地球。
放射能の灰に汚染され、廃墟と化している。
多くの生物が絶滅したため、動物を所有している事が一種のステータスとなっているが、リック・デッカードは、人工の電気羊しか飼えない。

生き残った人間は、火星に移住する者も多く、移民計画を進めるための危険な作業は、もっぱらアンドロイドにやらせている。
ある日、アンドロイド8人が、過酷な労働に耐えかね、火星から地球に逃亡を図る。デッカードは、バウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)として、逃亡したアンドロイドを追う。


(以下、読書会で話題になった場面やテーマを中心に紹介します)


●人間くさい主人公、リック・デッカード

朝から妻にやり込められ、本物の動物を欲しがり、お金のために警察に雇われ、逃亡アンドロイドの抹殺を仕事にしています。
デッカードは、かっこいい”ヒーロー”ではなく、ごく普通の生身の人間として描かれます。


●人間とアンドロイドを見分けるテスト

アンドロイドの見た目や言動は、人間そっくり。間違って人間を殺してしまわないよう、アンドロイドを見分けるテスト「感情移入度検査」が開発されています。

“メイン料理は、ライスの詰め物をした犬の丸煮だ”
“このカバンは、人間の赤ん坊の生皮でできている”

こんな質問にどう感じたか答え、反応時間や返答内容などをテストします。つまり、生物にどれだけ感情移入できるかというテストです。

参加者からは、
「このテストで本当にわかるの?」
「感情移入が人間らしさというけど、人間の定義ってむずかしい」
「感情移入って人間だけのもの?動物は?」
などの声がありました。

テストで見分ける難しさも描かれていますが、登場人物の人間たちはアンドロイドに接すると、「何かが違う」と感じ取ります。それは、アンドロイドが「言うこと」ではなく、「言わないこと」。アンドロイドは余計なことはせず合理的、人間は非合理な生き物である、ということなのでしょう。


●アンドロイドに心惹かれてしまうデッカード

デッカードが3人目に仕留めるアンドロイド、ルーバ。彼女は、オペラ歌手を隠れみのにしています。
オペラ劇場に忍び込んだデッカードは、彼女の歌のすばらしさに心を打たれます。結局、仲間とともに彼女を仕留めるのですが、「この才能を世界で活かすことができたのでは」とデッカードは悩みます。

デッカードの心をさらに深く捉えるアンドロイドが、もう一人の主人公、レイチェル。アンドロイド製造会社の秘書をしています(会社所有のアンドロイドなので、抹殺されることはありません)。
レイチェルは、アンドロイドを守る側にも関わらず、デッカードに協力を申し出ます。
二人は一時、恋仲になるのですが、レイチェルが「人間の男を誘惑するために作られたアンドロイド」だと知り、その愛も壊れます。


●アンドロイドの悲哀

実は、レイチェルは、デッカードに会うまで自分のことを人間だと思っていました。デッカードの捜査に協力する形でテストを受け、自分がアンドロイドであることを知るのです。
毅然と振る舞いつつも、「私は、”生きて”いない!私たちは、びんのふたのように製造された。生まれてくるってどんな気持ち?」などとぶちまけ、アンドロイドであることの悲哀や、人間への嫉妬を感じさせます。

「自分はアンドロイドではないのか」とびくびくしていたデッカードの同僚もいました。アンドロイドであることは、耐えがたいものだとわかります。


●アンドロイドの非情さ

逃げ続けている、最後のアンドロイド3人は、人間にかくまわれていました。
廃墟のビルに一人で住む、イジドアという青年です。
彼は、精神機能の問題から「特殊者(スペシャル)」と烙印を押されていますが、誰よりも優しく人間の心をもっています。
イジドアは、逃げてきたアンドロイド達をかくまい、かいがいしく世話を焼きます。しかし、アンドロイド達は、そんなイジドアの優しさを理解しません。

参加者の多くが「印象に残った」と言う場面。
部屋にいた蜘蛛に目をとめたアンドロイドが、「なぜ8本も脚が必要なの?」と、1本づつ蜘蛛の脚を切っていき、歩行可能かどうか実験するのです。イジドアは恐怖で愕然とします。

アンドロイドの非情さが際立つ場面ですが、
「アンドロイドを作って、殺す人間こそ非情ではないか?」という意見も出ました。


●生き物の価値を決めるのは誰?

デッカードは、アンドロイドの歌姫に対して、「この世界は彼女の才能を活用できたはずなのに」と言います。

生き残る価値があると誰が決めるのか?
読書会でも様々な意見が出ました。

「良いものだけ残せばいいのか?」
「相模原の事件を思い出してしまう」
「生き物の価値を決めるのは誰なのか?」
「アンドロイドを殺さなくてもよいのでは?」
「でも、主人を殺して逃亡したという罪があるから」
「他の星に追放するやり方もあった」
「アンドロイドを作ったのは人間だから、人間が管理しているという構図」
「人を噛んでしまった犬が保健所に送られてしまうのと同じ事ではないか」

アンドロイドは、法律的には生物ではないけれど、生物学的には有機的な生き物と説明されており、このあたりは、現在のペットが置かれている状況が思い起こされます。
「ペットの人権の問題もある」
「そういえば、川のタマちゃんに住民票が発行されたことあった」
「ペットは、法律的には人間の管理下におかれている」
「”管理”か“同化”か?」
「アメリカと日本の違いにも思える」
などの意見が出ました。


●人間にとっての宗教、真実とは?

地球に残ったほとんどの人が信仰する「マーサ教」。
随所で出てくるのですが、少し珍妙。
教祖が、険しい山に降ってくる石に傷つきながら登るという苦行を続けていて、人々は遠隔にいながら、”融合”し、苦行を一緒に体験するのです。

「マーサ教とは何か?意味がよくわからなかった」
「キリスト教を思い起こさせる」
などの意見が。

降板、テレビで「マーサ教は偽物!教祖は三文役者で、登山もスタジオで収録している」と暴露されてしまいます。実は、暴露したのは、キャスターとして働くアンドロイド。しかし、偽者と証明したアンドロイドの思惑ははずれ、人間たちは信仰をやめません。

デッカードもそれを知りますが、妻からこれが真実だと思うか聞かれ、「なにもかも真実。これまでにあらゆる人間の考えたなにもかも真実なんだ」と答えます。
「客観」で認識するアンドロイドと、「主観」で真実をとらえる人間の違いを示唆しているのでしょうか。


●ハッピーエンド?

アンドロイドを全員抹殺し終え、デッカードは、妻の元に帰還します。

「おれがやったことは、間違いだったと思うか? マーサは、”まちがったことだが、とにかくやるしかない”と言った」とデッカードは妻に問いかけます。
妻は、デッカードがやり遂げたことを肯定し、
「それは、私たちが受けた呪い。できることは、生命と一緒に動きながら、死へ近づくことだけ」と夫を勇気づけるような発言をします。

デッカードが帰路で、本物と思って持ち帰った人工のヒキガエル(マーサ教のシンボル)。妻が、夫を喜ばせるため、ヒキガエルの餌(人工ハエ)を電話で注文するシーンで物語は終わります。


SFとしての設定やストーリーを楽しむだけでなく、人間らしさとは何か、人間以外のものとどういう関係を築くのか、いろいろ考えさせられる読書会でした。

(by 酒井)
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東京読書会

Author:東京読書会
古典文学の名作を読み、カフェでそれについて自由に語りあいます。
肩の力を抜いて、真面目な話でなくてかまいません。

まず、メンバーで順番に、その月の課題作品を決めてもらいます。
それを読んで、毎月第一日曜日、東京近郊の喫茶店に集まり、感想を語りあいます。

古典的な名作というのは、名前は知っていても、実際に読んだことがない場合が多いので、これを機会に読んでみよう、というのが主旨です。
古典的名作だけに、読んで損をすることはないでしょう。

参加される方の割合は、初めての方とリピーターの方が半々といったところです。

読書会の告知は、毎月下旬頃(読書会の45日ほど前)から始めます。

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