
読書会レポート 2017年9月

~ウィリアムズ『欲望という名の電車』~
今回の読書会でも、他の方の感想や見方を知り、色々と気づき、考えさせられる機会となった。話し合ったことで、私が考えたことを少しまとめていきたい。
この作品は、舞台や映画でたくさんの人に比較的馴染みのあるものである。精神疾患をもつ人物、環境変化への対応等、作者の自伝的要素が盛り込まれ、産工業の発達と文化の価値などを重んじる豊かな精神などの対比が、ブランチとスタンリーで表されている。
映画をご覧になった方やト書きが読みにくいといった方は映画を見てから原作を読んだという方もいらっしゃった。映像や翻訳での表現が生まれることで、翻訳や映像の魅力を感じられる方がいらっしゃって、解釈や受け止め方が様々であった。
国内外であまたの上演回数、多くの人に演じられて、映像、本の中のいずれにおいても、参加者の方たちにも強い印象を残すブランチ。彼女はどんな女性か。プライドが高い、過去に縛られている、愛情深い、人を見下す、純粋、古風、美への意識が高い、ヒステリックに「ポーラック」と叫んでいる、子供っぽい、年齢を気にする、男好き、綺麗な人、虚栄心の塊。------
夢を見るような乙女の性と、獲物を捕らえてしまう女郎蜘蛛のような性。
複雑で強烈、対極の性。自分自身でバランスが取れていない。
男性への依存に関しては、親族からだったと、強い遺伝性との指摘があった。「死の反対は欲望」ブランチは語る。悲惨な身内の死を見送り、反動としての欲望、また彼女の生としての欲望だったのだろうか。
そして、こうした強い男性依存を始め、彼女の精神の不安定さは、生来のものなのか、辛い過去に起因するものなのか。
結末はについても、「この結末はハッピーエンドなのか」「この続きを書くとしたら・・・」「ここまでしなければならなかったのか」などを話し合った。
ブランチの精神が崩壊して精神病院に行くこと。「このままいても変わらない、良くなることはない」「ブランチにとっては良かった」
ステラやスタンリーら周囲にとって、良かった。振り回されることなく、それまでの生活を守っていくことができる。
「ステラにとってスタンリーと生きていくことは幸せなのか」ステラはきっと幸せを感じるだろう。しかし、スタンリーに力や欲で支配されているのではないか。スタンリーがいなくなってもいい。しかし、スタンリーの暴力や欲で支配されているのは本当に幸せか。スタンリーがもしいなくなっても彼女はやっていけるだろう。
様々な意見が出た。
「ここまでしなければならなかったのか」確かに、、彼女は故郷から追われるくらいのことをしている。ステラの家に来てからも厚顔無恥の振る舞いである。しかし、全く異質な場所で、彼女は適応しようと努力もする。彼女は、心身傷つき、疲弊して、ニューオリンズにやってきた。自分の再生や新生を期待して、救われる場所、救ってくれる人を求めていた。
そして、ステラの家に辿り着き、ミッチと出会った。しかし、ステラの家では、粗野で乱暴な夫のスタンリーを受け入れることができず、対立していく。ステラは、スタンリーとの生活に順応していて、満足している。
ミッチとの交流。ブランチもミッチもともに、過去に愛する相手を失うという悲しい恋の体験をしている。「悲しみが真心を育てる」「あなたは真心こめて人を愛することができる」と、ブランチだけでなくミッチも受容や共感を求め、真心による愛情を求めた。しかし、結婚を考え、全てを知りたがるミッチにも、ブランチは自分を偽る。
結局、彼女はどこに行っても、誰とも上手くやっていけない。どんな現実も受け入れることができない。やはり、感想で出ていたように、「これしかない」「これで良かった」なのかもしれない。
最後に、虚飾や嘘で覆われた彼女は、全てを剥がされる。必死に隠したかった過去を剥がされる。彼女の語る言葉は切実で、心が痛くなる。これを演じる女優さんはどのような表情になっているのだろうか。
「演者の方が、舞台なのかブランチなのか『ヒリヒリした』という表現された」という発言があった。三島由紀夫によると、作者は太宰治を好み、「いつも自分の傷口を開いて見せる」作品を描いたそうである。弱いものが打ちのめされる痛みなのか。人には言えない秘密や過去を暴かれていく痛みなのか。作者の痛みなのか。
どんなものも敏感すぎるほどに感受してしまう。何事も刺激となる。精神は清らかでありたいと思う。でも目の前の環境や現実はそうさせてくれない。適応しなければならないと頑張るがうまくいかない。
ブランチの結末は、悲しくもある。しかし、唯一の身内である姉を精神病院に送ることに迷うステラに友人が掛ける「生きていかなくちゃ」は、とにかく前に進むことである。元の生活を取り戻して、赤ん坊という新しい命を得て生きていくステラ夫妻。姉が去った後、ステラの「満ち足りた」様子に、「なぜ?分からない」という意見があった。彼女は、経済的にも精神的にも決して豊かではないかもしれない生活を、逞しく生きていこうとしている。そして、ブランチも生きていくのである。
「生きていかなくちゃ」これが、私達に結末について考えさせたのかもしれない。
ブランチを過度に憐れむものでもない。スタンリーさえ悪者としていない。だからこそ、考えさせられる。登場人物の誰もが自分の中にいる気がする。だからこそ、共感する。
映像化されたものも、ぜひ見てみたい。また、楽しめるだろうかとワクワクする。
今回お話をした方々のお言葉は自分にないものや共感があり、発見があったり考える機会を作ってもらえたりと、この時間も本当に楽しい時間であった。
(by TAGUA)
今回の読書会でも、他の方の感想や見方を知り、色々と気づき、考えさせられる機会となった。話し合ったことで、私が考えたことを少しまとめていきたい。
この作品は、舞台や映画でたくさんの人に比較的馴染みのあるものである。精神疾患をもつ人物、環境変化への対応等、作者の自伝的要素が盛り込まれ、産工業の発達と文化の価値などを重んじる豊かな精神などの対比が、ブランチとスタンリーで表されている。
映画をご覧になった方やト書きが読みにくいといった方は映画を見てから原作を読んだという方もいらっしゃった。映像や翻訳での表現が生まれることで、翻訳や映像の魅力を感じられる方がいらっしゃって、解釈や受け止め方が様々であった。
国内外であまたの上演回数、多くの人に演じられて、映像、本の中のいずれにおいても、参加者の方たちにも強い印象を残すブランチ。彼女はどんな女性か。プライドが高い、過去に縛られている、愛情深い、人を見下す、純粋、古風、美への意識が高い、ヒステリックに「ポーラック」と叫んでいる、子供っぽい、年齢を気にする、男好き、綺麗な人、虚栄心の塊。------
夢を見るような乙女の性と、獲物を捕らえてしまう女郎蜘蛛のような性。
複雑で強烈、対極の性。自分自身でバランスが取れていない。
男性への依存に関しては、親族からだったと、強い遺伝性との指摘があった。「死の反対は欲望」ブランチは語る。悲惨な身内の死を見送り、反動としての欲望、また彼女の生としての欲望だったのだろうか。
そして、こうした強い男性依存を始め、彼女の精神の不安定さは、生来のものなのか、辛い過去に起因するものなのか。
結末はについても、「この結末はハッピーエンドなのか」「この続きを書くとしたら・・・」「ここまでしなければならなかったのか」などを話し合った。
ブランチの精神が崩壊して精神病院に行くこと。「このままいても変わらない、良くなることはない」「ブランチにとっては良かった」
ステラやスタンリーら周囲にとって、良かった。振り回されることなく、それまでの生活を守っていくことができる。
「ステラにとってスタンリーと生きていくことは幸せなのか」ステラはきっと幸せを感じるだろう。しかし、スタンリーに力や欲で支配されているのではないか。スタンリーがいなくなってもいい。しかし、スタンリーの暴力や欲で支配されているのは本当に幸せか。スタンリーがもしいなくなっても彼女はやっていけるだろう。
様々な意見が出た。
「ここまでしなければならなかったのか」確かに、、彼女は故郷から追われるくらいのことをしている。ステラの家に来てからも厚顔無恥の振る舞いである。しかし、全く異質な場所で、彼女は適応しようと努力もする。彼女は、心身傷つき、疲弊して、ニューオリンズにやってきた。自分の再生や新生を期待して、救われる場所、救ってくれる人を求めていた。
そして、ステラの家に辿り着き、ミッチと出会った。しかし、ステラの家では、粗野で乱暴な夫のスタンリーを受け入れることができず、対立していく。ステラは、スタンリーとの生活に順応していて、満足している。
ミッチとの交流。ブランチもミッチもともに、過去に愛する相手を失うという悲しい恋の体験をしている。「悲しみが真心を育てる」「あなたは真心こめて人を愛することができる」と、ブランチだけでなくミッチも受容や共感を求め、真心による愛情を求めた。しかし、結婚を考え、全てを知りたがるミッチにも、ブランチは自分を偽る。
結局、彼女はどこに行っても、誰とも上手くやっていけない。どんな現実も受け入れることができない。やはり、感想で出ていたように、「これしかない」「これで良かった」なのかもしれない。
最後に、虚飾や嘘で覆われた彼女は、全てを剥がされる。必死に隠したかった過去を剥がされる。彼女の語る言葉は切実で、心が痛くなる。これを演じる女優さんはどのような表情になっているのだろうか。
「演者の方が、舞台なのかブランチなのか『ヒリヒリした』という表現された」という発言があった。三島由紀夫によると、作者は太宰治を好み、「いつも自分の傷口を開いて見せる」作品を描いたそうである。弱いものが打ちのめされる痛みなのか。人には言えない秘密や過去を暴かれていく痛みなのか。作者の痛みなのか。
どんなものも敏感すぎるほどに感受してしまう。何事も刺激となる。精神は清らかでありたいと思う。でも目の前の環境や現実はそうさせてくれない。適応しなければならないと頑張るがうまくいかない。
ブランチの結末は、悲しくもある。しかし、唯一の身内である姉を精神病院に送ることに迷うステラに友人が掛ける「生きていかなくちゃ」は、とにかく前に進むことである。元の生活を取り戻して、赤ん坊という新しい命を得て生きていくステラ夫妻。姉が去った後、ステラの「満ち足りた」様子に、「なぜ?分からない」という意見があった。彼女は、経済的にも精神的にも決して豊かではないかもしれない生活を、逞しく生きていこうとしている。そして、ブランチも生きていくのである。
「生きていかなくちゃ」これが、私達に結末について考えさせたのかもしれない。
ブランチを過度に憐れむものでもない。スタンリーさえ悪者としていない。だからこそ、考えさせられる。登場人物の誰もが自分の中にいる気がする。だからこそ、共感する。
映像化されたものも、ぜひ見てみたい。また、楽しめるだろうかとワクワクする。
今回お話をした方々のお言葉は自分にないものや共感があり、発見があったり考える機会を作ってもらえたりと、この時間も本当に楽しい時間であった。
(by TAGUA)
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